物語No.007

武田勝頼の首実験

年代
天正十年
場所
浜松市中区中山町
現在の名前:中山町
古い名前:清水町・半頭町・中山町
キーワード
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物語本文

 浜松市の中央、高町の南に続く谷あいの町が、
『中山町』
である。ここは徳川時代、清水町・半頭町・中山町と言ったのが集まった町である。
 四OO年の昔、徳川家康が曽っての敵将、武田勝頼の首実験をしたのは、この半頭町であったという。
 武田信玄の子勝頼は、信玄に続く猛将であったが、地の利、時の運に恵まれなければ、必ずしも戦いに勝つと言う訳には行かなかった。
 敗戦に次ぐ敗戦で、その前は日本全土にならした勇将も、逐には妻子と僅かの従者を連れたのみで、暗夜、各地をさまよい歩く有様となった。そして天正十年(一五八二年)三月四日、天目山(てんもくざん)で自刃して果てた。
 この報らを聞いた織田信長は、旅行中で美濃国の久呂川の渡し場であったが、その首級を見ると、カッと目を怒らせて、
『汝の父信玄はな、非義不道の極悪人だ。その罰で汝も斯くの如くなったのだぞ。信玄めは、一度は京に上りたいと言っていた。今ぞ、その思いをかなえて、この首を京に上らせて、三條河原にさらして、女子供の笑いものにさしてやろうか』
と罵(ののし)って、棒切れで、散々に叩きつけるのであった。そして、
『だがそれより、徳川殿に見せてやろう。徳川殿もこれを見たら、さぞ悦ぶことであろうぞ、早く、浜松へ送ってやれ』
と言いつけるのだった。
 その時家康は、駿府へ出発する間際であったが、勝頼の首の来たとの知らせを聞くと、
『何、武田勝頼殿の御首級が参るとな、よし出迎えよう』
と、わざわざ浜松城を出て、半頭町まで来るのであった。
 そして家康は、
『敵将といえど、今はカもない首だ。粗未に扱ってはならぬぞ』
と、三方の上に丁寧に乗せて、上段に飾らせた。そしてその前に静かに頭を下げて一拝をし、やがてしんみりした口調で、
『ああ我が敵ながら、かかる姿で目見える悲しさよ。御身は若きゆえに、御思慮もなく、無謀な戦いを重ねてこの末路、父君信玄公の武勇の名を汚した事は、まことに以って、惜しい極みであったな』
と言って、涙を流すのである。その上、
『この首はな、懇ろに扱って、甲斐の国に返してやれ。そしてその葬いに立ち合ってやれ』
と命じるのであった。

附記  このように家康と信長、その取り扱いの様を見ても、両者の性格がよく現れている。ならばこそ、信長が家康の正妻築山御前や、長男信康を死に到らしめたあたりも、察することが出来る。
    今、中山町の元の半頭町には、別にこの後は残っていないが、家康はよくこのあたりに来たことは伝えられている。又、三方原の戦いの時、家康は逃げてここの清水を飲んだことは第七話で話しておいた。
(浜松風土記)

参考文献
  • 文献ID: R000
  • 文献名: 家康の愉快な伝説101話
  • 著者: 御手洗清
  • 発行: 遠州伝説研究協会 発行年: 昭和58年2月20日
  • 引用ページ: 36-38
住所
浜松市中区中山町

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 この地点は、必ずしも物語の舞台となった場所を示しているとは限りません。