物語No.062

信康祭り

年代
天正七年九月十五日
場所
浜松市天竜区二俣町
現在の名前:二俣城址
古い名前:二俣城
キーワード
戦いの話, 岡崎次朗信康自刃, 信康謀反の疑い, 信長からの信頼を失わないようにする, 息子に自刃をさせる, 二俣城, 清瀧寺, 岡崎次郎信康, 徳川家康, 徳姫, 織田信長, 天竜区,

物語本文

 徳川家康の長男、岡崎次郎信康は、二十一歳の若さで、天正七年(一五七九年)九月十五日、二俣城で自刃して果てている。
 信康は戦場にあっては少年ながら勇猛果敢、実にものものしい働きをする武者だった。それで信長にすら、
『うん、あれこそ末恐ろしい勇者だな』
と言わしめた程である。
 がその半面では激情にかられ、家臣等を手打ちにしたり、築山御前のすすめる女を側女にしたり、不行なことも多った。それだけに、織田信長の女である正妻の徳姫は、よくは思はなかったし、二人の仲は悪るかった。
 ある日徳姫は、夫信康の不行跡、信康との不和、甲州の医師を通じて武田と接触している事など、ある事ない事書いて、父信長のもとに送った。
 信長は可愛いい吾子徳姫からの手紙を見ると、それを無條件に信じ、尚又、信康の勇猛果敢さは、吾が子と比較すると実に恐ろしい存在と、家康のもとに、信康の死を命じたのである。
 家康とすると、盟主織田信長の言うことであり、信長の信を得るには、これは止むを得ずと、吾が子信康をして、死に到らしめたのである。将に戦国の世の悲哀である。
 信康はこの不測のことに、断腸の思いながら、父の為にと、二俣城で、
『我れには、反逆の意など、毛頭ないけれど、父の命なれば、死も恐れず……』
と、明言して、自刃して果てたのである。時に年二十一歳、天正七年(一五七九年)九月十五日のことである。
 今、天竜市二俣の清瀧寺に、その廟は残っている。

附記 天竜市二俣町では、この信康の無念をしのび、今も毎年十月『信康祭り』を催して、当時の武者姿の一行が、市中を巡回して盛大である。

参考文献
  • 文献ID: R000
  • 文献名: 家康の愉快な伝説101話
  • 著者: 御手洗清
  • 発行: 遠州伝説研究協会 発行年: 昭和58年2月20日
  • 引用ページ: 174-176
住所
浜松市天竜区二俣町

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 この地点は、必ずしも物語の舞台となった場所を示しているとは限りません。