物語No.063

馬伏城の家康

年代
天正六年三月
場所
袋井市浅名
現在の名前:袋井市浅名
古い名前:磐田郡浅羽町岡山
キーワード
人柄が分かる話, 戦いの話, 馬伏城を巡る戦い, 命令に背いた家臣, 怒る, 家臣を罰する, 馬伏城, 徳川家康, 武田勝頼, 本多忠勝, 大須賀弥吉, 市外,

物語本文

 東海線袋井駅の南四キロ、磐田郡浅羽町岡山に、元亀天正の昔、徳川、今川、武田と攻防激しかった、
『馬伏城址』
が、今も田圃の中に残っている。
 永正元年(一五〇四年)伊勢新九郎長氏(後の北條早雲)が、今川上總氏親を擁して、遠江、三河に兵を進めて来たとき、掛川城の出城として、ここに砦を設けた。これがこの馬伏城の初めである。
 続いて永正十三年(一五一六年)小笠原長高が、今川氏親の配下となってここに来て、砦を改修して、城とし、初代五千石の城主となったのである。
 この馬伏城の南六キロには横須賀城があり、小笠山の東には高天神城など、各所に有力な拠点があるので、馬伏城のような小城は、いつも足場として、常に戦いの絶間はなかった。
 そうしただけに、天正二年(一五七四年)六月には、武田勝頼の為に攻められて陥落し、逐には後形もなく焼き払われてしまった事がある。
 その後家康は、
『高天神を攻めるにも、横須賀城の為にも、馬伏城は重要な所だ』
と、城を改修して、時々この城に布陣していることがあった。
 こうして家康が馬伏城にいる天正六年三月のことである。武田勝頼は兵を進めて、この城を攻めて来た。
 この時敵の情勢を見た家康、
『敵は小勢だ。充分近くに引き寄せて攻撃するのだ。命令のあるまでは、誰れも動くな』
と命令を出していた。
 所が大須賀弥吉という男は、出撃の命令の出る前に、勇ましく武田方の陣所に攻め込んで、敵をひるませて、大きな手柄をたてた。
 所が家康はこれを聞くと、
『何、弥吉が斬り込んだと、怪しからん。命令の前に、勝手に動くものがあるか』
と怒り出した。側近が押えて、
『でも、大した手柄で……』
と言うと、
『ならぬ、命令に叛くものは許さぬ。ここへ来い。手討ちにいたす』
と言って聞かないのである。弥吉はびっくりして、本多忠勝の寝所へ駆け込むと、家康は忠勝の門まで来て、
『出てこい、今出て来なければ、忠勝も共々に成敗(せいばい)致すぞ』
と、ますます怒って言った。
 弥吉は致方なく、忠勝の陣屋で、
『今は、これまで……』
と、切腹してしまった。大須賀弥吉はその時、二十一歳の若武者だった。
 弥吉は横須賀城主、大須賀康高の甥であり、手柄をたてたのだから、罪は許されると思っていたのに、意外のことに、部下の将兵達は、一段と緊張したという。
 家康には、こういう厳格な一面もあったのである。

参考文献
  • 文献ID: R000
  • 文献名: 家康の愉快な伝説101話
  • 著者: 御手洗清
  • 発行: 遠州伝説研究協会 発行年: 昭和58年2月20日
  • 引用ページ: 178-181
住所
袋井市浅名

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 この地点は、必ずしも物語の舞台となった場所を示しているとは限りません。