物語No.075

提灯野とままね

年代
元亀三年十二月
場所
磐田市一言
現在の名前:磐田市一言
古い名前:一言
キーワード
名前の由来, 戦いの話, 一言坂の戦い, 敗走, 偵察, 一言坂, 万能ほたる, 智恩斉, 徳川家康, 本田平八, 武田信玄, 市外,

物語本文

 浜松から国道一号線を東へ、天竜川を越して、磐田原へと上る坂が、
『一言坂(ひとことざか)』
である。そしてその上り口の近くに
『提灯(ちょうちん)野』
という所がある。
 元亀三年(一五七二年)十二月のことである。浜松城の徳川家康は、甲斐の武田信玄の大軍が攻めて来るとて、心はおだやかではなかった。
 その頃信玄の軍は、北は二俣から野辺・合代島へ、東は山梨・袋井のあたりへと、周辺に充満しているのだった。
 或る日家康は、部下教十騎と共に、見付の東へと、偵察をかねて出動した。
『仲々。居るわい。引き揚げよう』
 戦いをする為に来たのでないから、家康達は帰りかけた。すると信玄の兵はそれを見つけて追って来た。そこが一言の坂で、本多平八と信玄の軍勢との一騎打ちの戦いもあった。
 家康は一言の部落の、智恩斉という寺の前まで来て、ふと見ると寺の前に、一宇の観音堂があるので、思わず馬から下りて、つかつかと堂の前に立った。そして、
『この戦いに、是非とも勝ちますように』
 と一言拝んだ。それでそれ以来、
『一言(ひとこと)』
という部落の名前が出来たのだとも言う。
 さて家康の一行が、このあたりを通ると、そこは深い沼地になっていて、その先が畑となっている。折から十二月の日は沈んで、もう暗くなって来た。
 と、この時、敵の追いかける、
『わあーわあー』
 という声が、後ろの方から聞えて来た。
『そうだ、この沼に、罠(わな)をかけてやれ』
 家康は沼の先の畑に、火を入れた提灯(ちょうちん)を一杯に並べ、旗をたてるなどして、さも大軍の陣地があるかのように見せかけた。
 そして此方からも、
『わあ、わあ、わあ』
と、ときの声をあげて見た。
 すると敵は、ここに家康方の陣地があると見て、一斉に、
『それあそこだ、それ行け』
『我れこそ一番乗りだぞ』
と、馬に鞭をあてて走って来た。それでその敵兵たちは、みんなその、泥の深い沼地の中にはまりこんでしまった。
『あ、駄目だ。駄目だ』
と言っても、後に続く兵士が押し出すので、次から次へと皆沼の中に落ちてしまった。
 この様子を林のかげから見ていた家康軍は、
『それッ、この時だ』
と、弓矢や鉄砲で攻撃したので、武田軍は思わぬ大損害を受けてしまった。
 この時提灯を立てたので、
『提灯野原』
と言うようになり、やがて原を略して"提灯野"と言うようになった。又この沼地は、
『馬がねた』
と言うのを、いつか略して、
『ままね』
と言って、今に"ままね"という所がある。ままねとは、
『馬寝』
と書くのであると。それから又、この時沼地で死んだ武田の兵の亡霊は、その後、螢(ほたる)になって出るようになった。その螢は、普通の三倍もある大ききなので、この地が万能という所なので、
『万能(まんのう)ほたる』
と呼んで、現に有名な螢となっている。

参考文献
  • 文献ID: R000
  • 文献名: 家康の愉快な伝説101話
  • 著者: 御手洗清
  • 発行: 遠州伝説研究協会 発行年: 昭和58年2月20日
  • 引用ページ: 210-213
住所
磐田市一言

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 この地点は、必ずしも物語の舞台となった場所を示しているとは限りません。