物語No.084

家康と孕石主水

年代
天正九年
場所
掛川市孕石
現在の名前:掛川市孕石
古い名前:掛川市孕石
キーワード
人柄のわかる話, 戦いの話, 高天神城での戦さ, 落城, 30年以上前の禍根, 生け捕りにされた孕石主水, 打ち首を命ずる, 孕石天満宮, 徳川家康, 三倉忠左衛門, 藤原忠高孕石主水, 市外,

物語本文

 掛川市の町から、北の山の中へ十五キロ、原野谷川の上流となった所に、
『孕石(はらみいし)』
という、山の中の小さな部落がある。ここには次のような話がある。
 四〇〇年の昔のこと、ここを領地として住んでいたのは、
『藤原忠高孕石主水(もんど)』
という武士であった。
 孕石主水はその頃、遠州第一の武将、今川義元に仕えていて、
『遠江三十六人衆』
と言われた程の、優れた武士であった。
 孕石主水はその後、志太郡の鬼岩寺を領地としたり、今川義元の関係で、駿河の宮の町という所に住んでいたりもした。そして最後には、天正九年(一五八一年)に、武田勝頼の配下として、小笠郡の高天神城に立て籠って守っていた。
 ところでこの高天神城は、数ヶ月に亘る徳川方の包囲によって、遂に落城した。この落城の際、城兵と共に打って出た孕石主水は、徳川方の大将、大久保忠世の家来、三倉忠左衛門と戦って、不運にも生け捕りにされてしまった。初め主水は足を打たれ、
『残念だ』
と、自刃しようとしたが、それより先に捕えられたのである。
 三倉忠左衛門は、直ぐこの事を、徳川家康に伝えた。
『なに、孕石主水とな。駿河の宮の町にいた主水だろう。その者なら、打ち首にしてやれ、憎い奴だ』
と、家康はひどく怒って言うのである。当時打ち首は、罪人を扱う処刑で、武人としては一番不名誉のことだった。
 家康がそう言うのには、こんな訳があった。
 それは、その時よりも三十余年も前のこと、家康がまだ松平竹千代と呼ばれている頃、今川義元のもとに人質となって、この宮の町で育てられていた。
 竹千代は鷹狩りが好きなので、鷹を放っては、時々獲物を追って、隣家の屋敷の中に入って行くのである。その隣家というのが、孕石主水なのである。
 主水は竹千代が、勝手に屋敷の中に入って来るのを見ると、
『これこれ、他人の屋敷の中に、黙って入って来るという事があるか。気をつけろ』
と言って叱った。
 しかし、これが度々なので、
『怪しからん、もう来てはならんぞ!』
と次第に強く叱った。それで竹千代はいつも、
『いやな男だな』
と思っているのだった。孕石主水は主水で、
『人質の分際で、三河の小伜のくせに、あきれ果てた困った奴だな』
と思っていた。
 この三十年前に、自分をひどく叱った孕石主水と思うと、家康は急に、憎くなって来たのである。
『はい、畏りました』
 三倉忠左衛門は、そう言って家康の前を下ったが、併し打ち首ではあまりにも武士の情がないと、
『家康はそう言われたが、切腹なされ、私が介錯をいたす』
と、首をはねたと言う。

附記 この孕石には、大きな石があった。半分は土の中に埋もれていて、その大きさは分らなかったが、この石の上に『孕石天満宮』という小祠があった。不思議なことには、この石は子を孕んでいる形をしており、しかも時々小石が抜け出るのである。
 それで子のない婦人は、天満宮にお参りして、この小石を借りて来て閨中にそっと隠して置くと、必ず妊娠すると言うのである。

参考文献
  • 文献ID: R000
  • 文献名: 家康の愉快な伝説101話
  • 著者: 御手洗清
  • 発行: 遠州伝説研究協会 発行年: 昭和58年2月20日
  • 引用ページ: 238-241
住所
掛川市孕石

※この地図のピンの示している場所は、上記の「場所」または「現在の名前」で検索された地点です。
 この地点は、必ずしも物語の舞台となった場所を示しているとは限りません。